現代のオランダ人の目に映る“NAGASAKI”



オランダ・ライデン大学から長崎大学へ交換留学。オランダと長崎との歴史に魅せられ、研究を続けるオランダ人の若者の目に映る長崎についてインタビュー。ゆかりの地を巡りながら、出島オランダ商館時代のことから現代の長崎の不思議まで四方山話を展開。


ズバリ!今回のテーマは
「出島のオランダ人も長崎をこんなふうに見ていた?」なのだ



 

2003年、オランダ屈指の名門、ライデン大学に入学。ライデン大学にはオランダで唯一、日本の言語や文化を学ぶことができる日本学科があるが、リチャードさんは、半ば直感的に日本へ興味を抱き、この日本学科を先攻。そして、大学4年のときの長崎大学留学をきっかけに、この長崎の町にすっかり魅了されてしまった……。そして、昨年末の結婚を機に長崎に移住。現代に生きるオランダ人、リチャード・デ・ブールは、日々、長崎の町を闊歩している。
はたして、彼の目に映っている“NAGASAKI”とは……。

リチャード・デ・ブールさん
現代のオランダ人プロフィール●
RICHARD DE BOER(リチャード・デ・ブール)
1983年、オランダ北部フリースラント州生まれの28歳。母国のオランダ語はもちろん、英語も堪能の上、長崎弁も上級者レベル!現在、長崎市内で就活中!

リチャードさん「私は出島に妻子連れで来たことでも有名なオランダ商館長、ブロムホフの奥さん、ティツィアと地元が同じなんです。
オランダの北部でオランダ語とは別にフリースラント州固有のフリジア語もあります。そのためか、もともと言語に興味がありました。それも珍しいものを勉強してみたくて大学では“日本学科”を選びました。特に漢字が楽しい! ひとつの漢字で、いろんな意味を持っているのがオモシロイと思うんです。英語やオランダ語のアルファベットは音を表わすだけですからね。」 フリースラント州の旗

ライデンといえば、いわずと知れたシーボルトゆかりの地。ライデン大学付属植物園(ホルトゥス・ボタニクス)近くには、シーボルトが日本から持ち帰った収集品を一般公開した世界初の日本博物館「シーボルトハウス」があり、内外の訪問者をナビゲートする発信基地の役割も果たしている。

リチャードさん「大学から50m程の所にあるホルトゥス・ボタニクスにはシーボルトが日本から持ち帰った植物が今も栽培されています。そこにはシーボルトの胸像が置かれた日本庭園もあるんですが、とても小さいし、私が見た感じだとあまり日本のイメージはないですね。でも、ライデンの町中には日本語があふれています。日本に関する観光地には日本語の案内板があるし、ホルトゥス・ボタニクスの近くの建物の壁には、松尾芭蕉の有名な“荒海や佐渡によこたふ天の川”の俳句が書かれているんですよ。」


シーボルトハウスはリチャードさんにとっても馴染み深い場所。ここで日本とオランダとを結ぶ様々なイベントに参加して通訳などを経験した。しかし、リチャードさんがシーボルトや、その他のオランダと日本の繋がりについて詳しく知ることになったのは、長崎大学留学後、長崎文化コースで学んでからのこと。

リチャードさん「ライデン大学では、はじめ17世紀に書かれた蘭書(古語)の読み下し文を現代文に直す作業から勉強したんですが、今程オモシロさを感じることはなかったですね。長崎大学に留学して、長崎で関係のある場所を訪れ、いろんな体験をしていくうちに、興味あることがどんどん増えていった感じです。」

長崎に着いてはじめて訪れたのは、「長崎原爆資料館」、「グラバー園」、そしてやっぱり「出島オランダ商館跡」だった。ということで、出島へ。

出島オランダ商館跡

カピタン部屋

リチャードさん「出島に初めて行ったとき、いちばん感動したのは、カピタン(商館長)部屋のテラスです。今は周りにビルが建っていてその頃の景色とはまったく違っていますが、オランダ商館があった頃は、目の前には海が広がっていて、ここでオランダの船が入ってくるのを待っていたんだ……と想像するのが楽しかったですね。」

日本に来て、最も文化の違いを感じたというのが、当然のことながら“食べ物”。

リチャードさん「留学中に京都観光をしたんですが、そのときは、和食のあっさりしたものばかりが毎日毎日続くので、本当につらかったですね。オランダの主食はパンですが、そのパンも穀物、木の実、スパイスを多く使っているので、日本のパン屋さんにあるのとは全然違います。それに、野菜とゆでたジャガイモを添えて、コンソメやスパイス、バター、肉汁などで作るグレービー(ソース)をかけて食べるのが定番料理です。生の魚も食べなくて、生ニシンを塩漬けや酢漬けにしてタマネギのみじん切りやピクルスをのせて食べます。でも、日本に来たら日本料理を食べないとね。今はご飯も普通に食べるし、今年のお正月は、ちょっとだけど“なまこ”も食べましたよ(笑)。」

ジャガイモ、スパイス、バター、肉汁……なるほど。材料から見ても出島の商館員たちもきっと同じような食事をしていたに違いない!

カピタン部屋を後に薬草園の方へ歩いていると、リチャードさん、出島の旗竿の前でふと立ち止まる。
リチャードさん「オランダ本国がナポレオン一世の軍隊に一時占領された1811〜1816年、オランダの国旗が掲げられていたのが、世界中でここ出島しかなかったという話を知ったときには、とても感動しましたね。」
旗竿の前にて

後に商館医として出島入りしたシーボルトが建立したケンペル、ツュンベリー顕彰碑の前では……。

リチャードさん「彼らのような研究者たちは、新たな発見をして後にそのことを書いた本を売りたい!という利益を考えていたと思うんです。だから、シーボルトも純粋に彼らを尊敬していただけではなくて、ケンペルやツュンベリーを追い越したい気持ちで出島に来たんじゃないかなと思いますね。」

顕彰碑の前にて

シーボルトが滞在していた頃、1820年代の出島を再現した模型の前でひと言。
リチャードさん「出島の今と昔でいちばん違うところは、“多くの妻(遊女)がいるかいないか”と“家賃”ですね(笑)。」
模型の前にて

※2003.11月 ナガジン!特集「出島回想録―出島が日本と世界にもたらしたもの」参照
※2006.8月 ナガジン!特集「出島2006〜江戸時代の長崎が見えてきた!〜」参照
 

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