きよみずさんの
定番!見どころ
味わいどころ

まずは、境内に祀られている様々な仏像を拝見。由緒ある御本尊は十一面千手観音。清水型という腕を頭上に掲げ合掌した独特の姿の観音像だ。本堂内陣の中央厨子内に祀られているが、秘仏のため御開帳は60年に一度。昭和59年の御開帳の後は、平成22年に本堂修復工事の落慶に合わせて御開帳されたばかり。次の御開帳は33年後の2044年の予定だというが、もしかしたら創建400年となる12年後の2023年、御開帳が期待できるかもしれない。

秘仏は他にもある。京都清水寺とほぼ同様に配置された本堂内陣。左右の厨子内に祀られた左脇侍 毘沙門天(ご利益/商売繁盛)、右脇侍道祖神と習合した珍しい勝軍(しょうぐん)地蔵王(ご利益/延命・開運・勝利)や、聖天堂の御本尊 歓喜天(かんぎてん)は、もともとヒンドゥー神ガネーシャ。象頭人身の男女が抱擁する形像になっている(ご利益/商売繁盛・夫婦和合・子授け)などだ。

一方、いつお参りしてもお会いできる参詣者に最も馴染み深い仏様といえば、本堂の外陣の奥におられる「びんづるさん」。お釈迦様の弟子の一人だったびんづる様は、神通力に優れていたことから仏像となり古くから親しまれてきた。清水寺のびんづる様は、右手が取り外しできるように造られているので、安産祈願に来られた妊婦さんはその手をお腹に当て安産を祈願。また、別名「撫で仏様」というように、頭を撫でれば頭が良くなり、お腹を撫でると子宝に恵まれ、病気のところを撫でると平癒すると大人気。漆塗りのびんづる様の右手は、すでに漆が剥げてきて木目色。そのお仕事ぶりを物語っている。

春、お彼岸が過ぎると、本堂横の一本桜が見事な花を咲かせ、参詣客の目を楽しませてくれる。その奥の大師堂(祖師堂)には、穏やかな表情の開祖(※A)慶順像が祀られている。この長崎の地に清水寺を建立していただいた、その功績に敬意をはらってぜひ礼拝しよう。

開祖慶順は、京都の清水寺光乗院と音を同じにして「清水寺興成院」と名付け、京都の清水寺と同様に祈願寺とした。現在もそのスタイルは変わることなく、(※B)檀家制をとることなく、観音様を信仰する方々が、彼岸供養、子授け、安産、七五三、子育て、厄入り、厄明け、水子供養などあらゆる願い事で参詣している。

さて、観音様のお導きにより慶順が発見した光る大石、高さ2.5mの安山岩(※C) 瑞光石は、慶順が清水寺を開創した後も光を放っていたというが、第4代住職 瑞桂が「瑞光明」の文字を刻んだ後に光らなくなったと伝えられている。元は大門の横にあったが、現在では本堂の裏手に鎮座。実は近頃、夕映えに輝く瑞光石が度々目撃されているとか。
   
偉人達も訪れた「きよみずさん」
 
江戸後期、女だてらに世界をまたにかけ、茶貿易の道を切り開いた長崎の女傑 大浦お慶さんも居宅から程近い清水寺を度々参詣。本堂下段の聖天堂に祀られた「歓喜天」に深く帰依した。京都 清水寺は倒幕運動の拠点であったことから、京の風情を偲び、坂本龍馬も訪れていたかも知れず……。一方、大正の頃、モノクロ印刷に彩色された絵葉書が多数出まわる人気の観光スポットだった清水寺を、文豪 芥川龍之介も訪れた。彼の滞在日記『長崎日録』には、見渡す絶景の中、遥かに鯨凧(菱形のハタ)を見たと、確かに記されている。
※2007.4月 ナガジン!特集「あの人が愛した長崎」参照

 
最後に−−。
長崎では初詣は諏訪神社と清水寺、掛け持ちで参詣する人が多い。これはキリシタンではないことを示す、その当時からの習わしなのだろうか? そんな長崎山清水寺「きよみずさん」は、長崎の町の誕生間もなくこの地に根付き、いつの時代も人々の暮らしに寄り添ってきた。今回、大掛かりに行なわれた平成の大修理によって様々な新事実が掘り起こされ、改めてこの寺が長崎の類い稀な歴史を物語る貴重な寺院であるとともに、本堂が、全国の中でもとても貴重でユニークな建造物である「日本の宝」だということが判明した。今ではもう、この場所から長崎港を見渡すことはできないが、新たに復活した本堂の濡れ縁に腰をおろせば、清々しい長崎の町の息吹を感じる。ぜひ、いつの時代も多くの人に開放された寺院「きよみずさん」へ参詣してみよう。

 

参考文献
『長崎山清水寺 京の名残り、唐国の香り--きよみずさん』(長崎新聞社)

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