江戸時代の水路と
大正、昭和の別荘地

小島小学校は愛宕町にある。愛宕町と上小島、この二つの町は、この川を境としているようだ。欄干に大正十四年建立と刻まれた千畳橋を渡る。上流側に目をやると、視界には豊かな新緑が眩しい一本の大木と、美しい川のせせらぎが広がった。

越中先生「左奥が先程の小島小学校ですよね。きれいな風景が残っていて、陽は当たるし、とてもいいところですね。下流に見えるあれが“オランダ井戸”とも呼ばれる『無名泉』跡です。」




先生の視線の先をたどると、小さな流れの橋に石で造られた古井戸らしきものがあった。



越中先生「この辺りが上喜選(じょうきせん)という高級茶の産地だったそうですよ。常にあふれる清冷甘味な湧き水は、お茶に適していたんでしょうね。“オランダ井戸”と呼ばれたのは、ここから水樋を設けて出島のオランダ屋敷に送水して出島の常用水としていたからといわれているんです。」

井戸の上には“水神様”が祀られていた。橋を渡りきり、小島小学校の対岸を上流へと進む。

越中先生「この道は覚えていますよ。今もこの辺りは大きく立派なお宅が多いですね。昔から別荘地となっていた感じが残っています。この道を人力車が通っていたんでしょうね。長崎の財界で活躍された永見寛二さんの別荘『百花園』もこの辺りにあったんです。」

四季折々の花が咲くことから“花屋敷”とも呼ばれていた別荘。今もサンサンと降り注ぐ陽射しと、かつての河畔の風情を思い浮かべると、優雅な時間が想像できる。

越中先生「この辺は、昔はもっと川幅があったかもしれないですね。こんなに今でもきれいですから、当時はさぞかし清流だったと思いますよ。いや、本当にいいところですよね。」

小島橋付近の左側前方に立派に築かれた石垣が見える。上小島側は、小島橋以降は行き止まりなので橋を渡り、再び愛宕町の方へ。

越中先生「さっきの『無名泉』のところの橋もこれらの橋も、全部昔はなくて、大正時代にできたものですよ。この先に、昭和のはじめ頃に建てられた長屋があるんです。昔のマンションといった所でしょうね。当時のお金持ちさんが建てて貸していたんじゃないでしょうかね。見て下さい、まるでここは長崎の別世界ですよ。」


幾つもの長屋の棟が連なる風景は今まで見たことのない長崎風景だ。民家沿いになっているため川端へは近づけないが、長屋の先、国道のすぐ下の川沿いには幾本もの木々がうっそうと繁っている

越中先生「本当にこの辺りは川沿いで、陽の当たる静かなとっても良い場所ですよ。」
古い石垣を横目に進んで行くと昔ながらの小店があった。日常生活に必要な最低限のもの、仏様に供える切り花などが売られていた。後から通学路下校中の小学生達が、この旧道を駆け足で通り抜けて行く。

越中先生「ここに古い石垣とナマコ塀の跡があるでしょう。ここが薩摩藩の家来の人のお住まいだった場所だそうです。そして、薩摩藩が戦に勝ったのはお稲荷さんが加勢してくれたからだ、といって、高平川の上流にお稲荷さんを建てたといいます。そのお稲荷さんは、今も残っているんじゃないでしょうか。」


田手原方面からの“高野平川”の流れと、田上からの流れである“白糸川”とは、小島小学校の上手の“東川平橋”下流辺りで合流する。

越中先生「そしてこの辺りには、戦前まで長崎一を誇った “吉田牛乳店”の“吉田牧場”があったんですよ。」


長崎に牧場? と一瞬驚いたが、この環境ならば納得もいく気がする。“東川平橋”近くに自然石に『道路改修記念碑』と刻まれた碑が分岐点に立っていた。子ども達は、急な坂になった右側の道へと進んで行く。

越中先生「この右側の道が旧道なんです。子ども達はよく知っていますね。」



子ども達の後を行くと、国道324号線へと出る。白糸の滝へは、この国道を横切り、白糸バス停近くから伸びた坂道を上る。登り口付近には旬の果物や野菜、花などを置いた商店があった。かつての名勝地は穏やかな時間が流れる住みやすい住宅地となっている。右前方に駐車場があり、その下を川が流れている。川の側面は石垣で巡らされ、その上に民家が建ち並んでいた。

越中先生「積み方でわかりますが、手前の石垣は江戸時代のものですよ。右側のあの立派な石積みは昭和ですね。左側に白糸の三条の滝が見えます。昔の人は、ここまで来られて風景を楽しんでおられたんですね。」




昭和の石垣
江戸時代後期には長崎名勝図絵にも描かれた名勝地。土地の人は桃の木が多かったことから白糸付近を“桃源郷”または“桃源川”とも呼んでいたという。その美観は多くの人を魅了し、その証として数々の詩にもその光景が詠まれている。

※2008.4月ナガジン!特集『長崎に小さな滝巡り』参照


越中先生「この辺りに薩摩藩が建てたお稲荷さんがあるはずですが、見当たりませんね。」

薩摩藩のお稲荷さんを求め、さらに上流の方にある白糸公園まで登ってみたが、 お稲荷さんは見当たらない。あきらめて戻っていると年配の方がいらっしゃったので尋ねてみた。すると白糸公園の上辺りに今もそれらしきお稲荷さんがあるというので、再び引き返しお稲荷さんを探し当てた。

越中先生「現在通っている国道324号線は昭和の頃造られた昭和新道ですから、本来ならば、ひと繋がりの山だったわけです。薩摩藩のその家来の方の家の近くと伝わっていましたが、当時はこれくらいの距離は近くといっていたんでしょうね。」
   
   

今回、越中先生とともに歩いた小島川沿いの道筋には、まさに郷愁を誘う懐かしい風景が広がっていた。清らかな川の水、細くなったり広くなったりする昔ながらの道、小さな商店、瓦葺(ぶ)きの長屋風景。それはまるで急激に変化を遂げる長崎の町並みの中にぽっかり浮かぶ別世界。地域に住む人々はもちろん、小島小学校へ通う生徒や卒業生にとって、これらはまさしく心の原風景であることだろう。急な坂道の旧道も子どもにとっては早道。古い道が子ども達の通学路となり思い出の一部となる。そんな素敵な光景を見つけに、あなたも一度訪れてみてはどうだろう。

郷愁誘う散歩道
 

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