長崎は食べ物がおいしくて名物が多い! これ、今や全国でも常識中の常識。豊かな海と山に囲まれた地形から、その素材そのものの味はもちろんのこと、地域によって、それら上質の素材を活かした郷土料理が育まれてきた。また、古くから海外との交流を続けてきた特異の歴史を持つ長崎には、異国の薫り漂う名物も多い。長崎の町に受け継がれる歴史の「味」の魅力に迫る。


ズバリ!今回のテーマは
「知ると深まる“謎”にスポット!」なのだ




周囲に広がる大海の恵み、鯨料理

長年、長崎には「鯨」を食す文化がある。それは、古くから周囲の海で捕鯨が盛んに行なわれていたことを意味する。江戸時代、大村湾の東側に位置する「彼杵(そのぎ)」は、長崎街道の宿場町と共に、捕鯨集散基地として栄えた町。平戸街道とも交わる要衝だったことから、平戸、生月、五島で捕れた鯨が彼杵に水揚げされ、ここから各地へ仕分けされていった。長崎の町へは、彼杵港から船で時津港へ渡り、浦上街道を通って移送された。

戦後の食糧難時代、タンパク質や脂質満点の栄養源として全国各地で食べられたのは「鯨のカツレツ」や赤い「ベーコン」、そして「赤身の大和煮」だった。現在は、調査捕鯨の副産物として陸揚げされた鯨のみが市場に出回る。その都道府県別推計消費量は、なんと長崎が全国一位!一年間に一人当たり177.4gも食べているという。長崎では、兼ねてから事あるごとに鯨料理が食べられてきた。お正月は「鯨の刺身盛り合わせ」。茂木、式見、土井首地区では「鯨雑煮」を食べる習慣が今も残る。節分には皮の部分をなますに入れ、帰省する親戚や子どもらに食べさせようと、暑いお盆の最中の食卓にも鯨料理。秋の大祭、長崎くんちの「くんち料理」にも鯨が登場する。家庭料理の定番は、皮や、薄切り肉を使う「鯨じゃが」。最近では「鯨カツ」も再ブームとなっている。


今も魚屋さんで量り売りしてくれる、
長崎人の大好物



刺身、カツ、大和煮などで食べる、
最もポピュラーな背中の肉
臭みや独特の脂が苦手!と、鯨料理に無関心な方も多いが、おおかたの長崎人は、とにもかくにも、鯨が大好き。それは味だけではなく、鯨文化そのものにも由来しているのだろう。



鯨の旨味が他の素材にも染み込んだ、独特の風味
 
 鯨料理の謎●長崎人が食べるのは鯨のどの部位?

彼杵で仕分けされた鯨肉は、そこから陸路で佐賀や福岡へ、または大村、諌早、島原へも運ばれた。しかし、実は各地に運ばれる部位は様々だったという。というわけで、土地によって、様々な鯨料理が誕生した。そこで、天領だった長崎へは、最上級の部位が運ばれていた。長崎市内の人は真っ白で脂がのりに乗った「畝(うね)」を好んだ。ベーコンや末広に加工される、鯨の下あごから腹にかけての部分の硬い「スノコ」を除いた部位だ。ちなみに、鯨のおいしさを知り尽くした彼杵の鯨商人達は、「棒嘴(ぼうはし)」と呼ばれる下唇を好み、現在でも「棒嘴」の最大消費地だという。また、その隣町である千綿(現東彼杵町)には、胴体と手羽とをつなぐ「伝胴(でんどう)」という潤滑油の塊を使った郷土料理が残っている。大村、諌早へは畝須が、島原方面には尾っぽの部分の「尾羽(おば)」が運ばれた。当時の政治や移送手段によって各地で食べる部位が違っていたとは、まさしく「鯨文化」と呼ぶにふさわしい話だ。


日本に初めて伝わった西洋の味、南蛮料理

長崎港開港のきっかけとなった、ポルトガル人やスペイン人達との南蛮貿易。時代を追っていくと、まず初めに登場する我が国初期の西洋料理は、彼ら「南蛮人」が伝えた「南蛮料理」。パンを常食に葡萄酒を飲み、日本では家畜だった牛や豚などを食す、珍しくも贅沢な食文化の訪れだった。それは食材だけでなく調理法においてもしかり。長崎の伝統料理の定番には、そんな、どこか異国のエッセンスが効いている。

食べたことはなくとも、聞いたことはある「ヒカド、ヒロウズ、フルカデール、ゴウレン」などなどがそれにあたる。その料理名の響きからして異国の料理。実はパン同様、語源はポルトガル語やスペイン語なのだ。

「ヒカド」は、ポルトガル語の「Picado」「細かく刻む・調理する」という言葉が由来。さつまいもをすりおろして、とろみをつけた具だくさんのスープだ。

「ヒロウズ」は、ポルトガル語の「Fillos」からきている。江戸時代、江戸にも伝えられ「飛竜頭」→「がんもどき」となった。初期のヒロウズは、ポルトガルの菓子として記され「小麦粉をこね油であげ蜜をつけて食べる」と説明されているそうだ。しかし、いつ頃からか長崎では小麦粉のかわりに豆腐をすり、その中に牛房、椎茸、木耳(きくらげ)、銀杏(ぎんなん)などを刻み入れ、薄味をつけ油で揚げた精進料理「ヒロス」となっていた。

「フルカデール」は、今は「牛かん」の名で親しまれる一品。見た目は小判型の和風ハンバーグ。牛挽肉を団子にし、油で揚げた後に出汁で煮込む。

「ゴウレン」とは鶏肉や白身魚などの具に味付けをして揚げたもの。これは、日本人の大好物!唐揚げの原型だともいわれている。


さつまいもの風味が効いた、
冬にはもってこいのあったか料理



レシピによっては、「トビソース」という
ブラウンソースで煮込んだものも

これらと同様、ルーツが南蛮料理と聞いて最も驚くのが、ほんのり甘い衣をまとい、塩もつゆも付けるなく戴け、冷めてもおいしい「長崎天ぷら」。この「天ぷら」も、もともとの語源はポルトガル語の「temperar」(動詞で「調味料を加える」「油を使用して硬くする」の意)や、ポルトガル語またはスペイン語の 「templo」(寺院の意)などから転じたといわれているのだ。今や世界においても、寿司、すきやきと並び、日本料理の代名詞となっている天ぷらが、まさかの海外発信だったとは! しかし、17世紀にポルトガルから伝わった天ぷらも今や多様な広がりを見せ、当時とは別物の日本オリジナルとなったということだろう。確かなことは、水なしの小麦粉・卵・日本酒で作った衣のフリッタータイプの「長崎天ぷら」は、南蛮人直伝!日本料理・天ぷらの原型だったということ。


ちょっぴり甘い長崎天ぷらは、
冷めてもおいしいのが特徴



下味をつけて揚げる、この定番料理も南蛮渡来の味だった

こう見てみると、料理の過程で油で揚げている料理が多い。つまり、衣があってもなくても、油で揚げたところが南蛮風ということ? ちなみにキリシタンの里「浦上村」で、ポルトガル人の宣教師は信徒たちに"肉を食べる"という習慣を伝えた。 それを知った村の人たちは、長崎人の味に合うように豚肉を油炒めにした料理「浦上そぼろ」を考案。「そぼろ」とは方言で千切りの油炒めのことだという。


浦上そぼろ

 南蛮料理の謎●「南蛮」って何?

「南蛮」といえば、料理名に「南蛮」が付く料理も気になる存在。
例えば、「鴨南蛮」。これは、長崎名物というわけではないが、ポルトガル人の食事にネギが多く使われていたため、ネギを使った料理に「南蛮」がつくようになったという。 また、唐から伝わったといわれる唐辛子の渡来経路は、実は南蛮船だったことから、南蛮辛子または、単に南蛮とも呼ばれ、唐辛子を使った料理に「南蛮」がつくこともある。 「南蛮漬け」もしかり。南蛮漬けには、南蛮酢が使われるが、この南蛮酢には唐辛子が入っているのだ。(中国の料理法という説もある)
そう考えると「チキン南蛮」は、チキンを油で揚げ、さらに南蛮酢にサッと浸すというWの南蛮技が効いているということになる。

長崎のお正月料理に欠かせない「紅さしの南蛮漬け」は長崎きっての伝統料理。
紅さしは長崎の方言で、一般には「ヒメジ」と呼ばれる体調15cm前後の小魚で、その名の通りめでたい紅色をしていることから、南蛮漬けにしておせちの一品として伝承されている。とはいっても、家庭で作る人も減り、12月にもなると、魚屋さんが南蛮漬けにして店頭で販売しているのを、重宝がって購入する人も増えたようだ。なにはともあれ「南蛮料理」は長崎に息づいているということだ。
紅さしの南蛮漬け

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