まずはその構造をお勉強
知って楽しむ傘鉾の魅力

各踊町の町印的役割も持っているためその装飾は様々で、各町、町の特徴を捉えた装飾や細工が施されている。まずは傘鉾の構造をしっかり把握しておこう。傘の上部に置かれる飾り物は、【飾(だし)】と呼ばれる。その意匠は町名に因むものであったり、町の歴史によるものであったり、あるいは奉納踊と合わせたものであったりと様々だ。そして、傘のまわりに取り付けられる円状のものを【輪(わ)】という。輪の多くはビロードに町名を記したもので、ほかに注連縄(しめなわ)、蛇篭(じゃかご)などがある。元々傘鉾は、飾と垂でその町を表現しているといわれるが、神事に関係する踊町で注連縄を使うなど輪にも意味があるようだ。そして、輪の下から下げられている布が【垂れ】だ。垂れについては飾に合わせたもののほか、諏訪、森崎、住吉の三社紋を地紋にしたり、織出、刺繍を配したりする場合が多い。なかでも長崎の伝統工芸、絢爛豪華な「長崎刺繍」と呼ばれる刺繍が施されている垂れが登場すると、その年の話題をさらうものだ。


絢爛豪華な傘鉾に熱視線!
7ヶ町すべての傘鉾ガイド

くんちも本番間近! ここで、今年の踊町7ヶ町の傘鉾を予習しておこう。 紹介は諏訪神社前日の奉納順で、新橋町(旧町名)、諏訪町、新大工町、金屋町、榎津町(旧町名)、西古川町(旧町名)、賑町の順。

【新橋町】
【傘鉾・本踊 阿蘭陀万歳】を奉納する新橋町。傘鉾持ちは三川の原口芳克棟梁だ。
今年は26年ぶりに阿蘭陀万歳を検番に依頼。新橋町は何せ阿蘭陀万歳の本家本元、期待で胸が膨らむ! 今では諏訪町に吸収されてその名を残さない新橋町の傘鉾の【飾】は、昔町内に流れていた鹿とき川(ししときがわ)にちなみ、鹿が配されている。お多福面の香合(福)、朱塗り花台の上に唐金造の鹿の香炉(禄)、卓の下に長寿のシンボルである霊芝を植えた盆栽(寿)が置かれ、福禄寿のおめでたい飾りとなっている。【輪】は黒ビロードに金刺繍で町名。【垂れ】模様は朱塗の勾欄の雲の浮橋を塩瀬羽二重に金刺繍。

新橋町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社

【諏訪町】
【傘鉾・龍踊】を奉納する諏訪町。傘鉾持ちは女の都の藤本昇棟梁だ。
諏訪神社の使いが白蛇だという伝説から諏訪町の奉納踊りには白龍(しろじゃ)も登場。可愛らしい孫龍、子龍も諏訪町の龍踊ならではだ。龍の髪の毛を逆立たせ、勢いある動きを見せるかに龍方は総力を上げているのだとか。そんな諏訪町の傘鉾は【飾】は諏訪神社の御紋、諏訪町の町名を記した梶の葉に松と玉垣が配され【輪】はもちろん、注連縄。【垂れ】は寛政〜文化年間(1789〜1817)に製作と推測されている市指定有形文化財。緋の塩瀬羽二重に諏訪町の町名に因み、諏訪社、湖を渡る白狐、氷裂、稲妻の図を取り入れたものとなっている。

諏訪町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社

【新大工町】
【傘鉾・詩舞・曵檀尻】を奉納する新大工町。傘鉾持ちは本河内の太田涼棟梁だ。
吟詠に合わせて袴姿の若い女性たちが優雅に詩舞「祝賀の詞」は凛々しくもあり、艶やかでもある。今年は全員が自ら志願しての登場とあり、その気合いが伝わってくることだろう。曵檀尻も大工職人の町として、匠職人が崇敬する春日大社の前庭を模した屋根飾りなど見どころが多い。掛け声は一度だけ奉納した川船の名残からか「あーよーいやさ」と川船と同じなのにも注目したい。そんな新大工町の傘鉾の【飾】は、町と由緒の深い奈良の春日大社の鳥居に金色の春日燈篭を秋の紅葉の下に配し、燈篭献上を表したもの。【輪】は注連縄飾りだ。 【垂れ】は正絹両練固地織薄茶地固流紋に、諏訪、森崎、住吉の三社紋の金刺繍となっている。

新大工町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社

【金屋町】
【傘鉾・本踊】を奉納する金屋町。傘鉾持ちは田手原の山下勇棟梁だ。
明治大正の頃、金屋町は獅子舞を奉納していたことにちなみ、勢獅子がメインの古典調の本踊りを奉納する金屋町。おかめとひょっとこの面をしたコミカルな演技と、鳶の頭から獅子への早着替えが見どころだ。『長崎音頭』の合いの手もお忘れなく! 金屋町の傘鉾は戦争で焼けたため、戦後新調したもの。【飾】は老松の下に天孫降臨先導役・猿田彦大神の朱塗りの面を方位石の上正面に据え、右に鉾、左に太刀、三社紋に白菊、背に御神号を拝したもの。【輪】は注連縄飾りで、【垂れ】は西陣織で、赤地雲立、枠金襴三丁織というもの。

金屋町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社

【榎津町】
【傘鉾・川船】を奉納する榎津町。傘鉾持ちは今回取材させていただいた柳谷の中川禎浩棟梁だ。
1949年(昭和26)に新調し、現存するものでは一番古いという長さは6m、重さ3tの榎津町の川船。もってこいが多ければ、四回転半の大技も期待できるとか。そんな榎津町の傘鉾、【飾】は白木八脚に真薦を敷き、榊、麻を合わせ金蒔絵三社紋の黒漆三宝に銀の御神酒瓶一対を供え、白木の肴壺に、注連縄飾りの海老を中にしてビードロ細工の双掛鯛を配したもので、【輪】は注連縄飾り。【垂れ】は京都の龍村美術織物の作で、地紋に三社紋を配した亀甲の上に流鏑馬装束に身を包んだ送馬模様を羽二重紅地錦織に表している。

榎津町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社

【西古川町】
【傘鉾・本踊・櫓太鼓】を奉納する西古川町。傘鉾持ちは、同じく今回取材させていただいた柳谷中川棟梁の義兄の宮本守棟梁だ。
明治大正期は「角力(すもう)踊り」を奉納していた西古川町が、「本踊・櫓太鼓・相撲土俵入り・相撲甚句」を奉納してから14年ぶりの奉納だ。長崎が相撲の興行地であった江戸時代、その興行を古川町が仕切っていたことから、今年も相撲ゆかりの奉納となっている。相撲の開場を合図する「櫓(やぐら)太鼓」、県指定無形民俗文化財の西古川町角力踊道中囃子に注目したい! そして、傘鉾も西古川町は、相撲ゆかりの町らしく、大軍配を中心に、重藤の弓、弓弦乃神代巻、同軸箱を配したもの。【輪】は赤色のビロードに町名。【垂れ】は白地塩瀬に金糸で三社紋を刺繍したものとなっている。今回新調した鈴の音にも注目!

西古川町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社

【賑町】
【傘鉾・大漁万祝恵美須船】を奉納する賑町。傘鉾持ちは岩屋の鈴田國雄棟梁だ。
今も町に残る恵美須神社にちなみ「大漁万祝恵美須船」を奉納して今回が4回目。 親船「恵美須船」と子舟「宝恵(ほうえい)船」、「豊来(ほうらい)船」二隻の計三隻が船団を組み、大漁を祝う様を表現しているが、やっぱり恵美須神にふんした幼児が、船上から本物の生きた鯛を釣り上げて見せるところに注目が集まるだろう。「ほうえー、ほうらいえー」の掛け声もお忘れなく! 傘鉾の【飾】は、大きな瑠璃色のビードロに当然目が行く。波頭の波模様の台上に八足と八稜鏡をかたどる置台を配し、恵比寿神話による満ち潮を招く象徴である満珠(吹き玉技法によるビードロ)が置かれているのだ。【輪】は黒のビロードに金文字で町名を刺繍 。【垂れ】は、金糸青海波織出の地に金糸にて諏訪・森崎・住吉の三社紋織出金刺繍となっている。

賑町の傘鉾/平成13年長崎くんちより
写真提供:DEITz株式会社


◆長崎くんち・傘鉾篇◆
もってこーい!見どころ
平成12年から諏訪神社からの御神輿の「お下り」に続き傘鉾行列(パレード)が行われている。これはその年の傘鉾が一列に並び、市役所〜県庁間を練り歩くというもの。今年も前日(まえび)10月7日(火)に行われる。一番の見どころは、その道中、およそ消防局、住友生命ビル、県警察本部の3ヶ所で7つの傘鉾が整列し、一斉に回すところだ。どこから見ても美しく重々しくみえるように舞う傘鉾持ちの心意気に、毎年ここでも「ヨイヤ〜」の声が飛び交う。

傘鉾写真提供:DEITz株式会社

〈2/2頁〉
【前の頁へ】