長崎に限らず、月の運行に沿う旧暦(太陰太陽暦)に沿って暮らしていた時代は、人間と月の関わりは、現代人が想像する以上に深く、月と共に生きていたといっても過言ではない暮らしをしていた。そのわずかな名残を楽しむ風習が今月、やってくる--『中秋の名月』。

 

ズバリ!今回のテーマは
「この秋、お気に入りの場所で月を眺めよう!」 なのだ




月見団子や収穫されたばかりの作物などをお月様に供え、煌煌と瞬く月を愛でる、これぞ風流と呼ぶべき習わし『中秋の名月』。そんな、月にまつわる慣習はもちろんのこと、月と共に生きる生活を長崎で行っておられる方がいる。『月の美術館』のヤマサキユズルさんだ。今回はこのヤマサキさんに、月ナビゲーターを依頼。神秘的な月の魅力に迫った。



●ヤマサキユズルさん

中学校教員を経て、絵画の世界へ。2000年に教職業を辞め本格的に月の絵画制作に取り組まれるようになってから、月の魅力に惹き込まれ、2002年、個人美術館『月の美術館』を開館。また、2006年に長崎伝習所の一塾として発足した「長崎 月の文化研究塾」は2年間の活動を終えたが、企画やイベントなどは個人的な活動として継続中。月の美術館を事務局とした会員制倶楽部「月の会・長崎」でも「月を楽しみ、月と親しむ」をモットーとした活動を行っておられる。

月を愛でるということ
昔から人々が仰ぎ見た月





ところで、あなたは一年を通して、夜空を眺める日がどのくらいあるだろうか? 例えば、数十年に一度の彗星や流星群到来の夜。例えば、天の川を期待しての七夕の夜。もちろん、日頃から帰宅途中に夜空を仰ぎ見ているという人も多いかもしれない。そしてそこには、いつも様々な表情を見せながら優しく瞬く、お月さまの存在があるはずだ。

中国から日本に伝わった七夕の伝説は、天帝によって天の川を隔てた両側に引き離された織姫と彦星が、年に一度会うことを許されたというもの。

■ヤマサキさん
「もともとこれは旧暦(太陰太陽暦)の七月七日(今年だと8月7日だった)のお話。そして本来ならば、織姫は、天の川の舟人、川下にかかる上弦の月に乗って彦星に会いに行くんですよ。」


しかし、思い浮かべてみよう。毎年なぜか七夕の夜は雲行き怪しく、天の川を目にした回数は少ないのではないだろうか?

■ヤマサキさん
「実は、新暦を取り入れて以降、その日付に沿って移行したため、実際、長崎では梅雨の真っ直中であることが多いんです。つまり、本来旧暦に沿って行われていた古い慣習は、月のリズム、自然のサイクルと深い結びつきをもって行われ伝承されてきたということなんですよ。」

昔の人は、お月さまの存在を、おそらく今の私たちの感覚とはかけ離れた、身近でありながらも崇高な、とても特別な存在として捉えていたのだ。そんななか、観月、いわゆるお月見は、満月などの月を眺めて楽しむ慣習が根付いていった。

■ヤマサキさん
「『中秋の名月』の観月行事は平安時代に遣唐使によって中国から伝わったといわれていますが、日本では、月を愛でるという習慣が縄文時代からあったといわれています。記録に残っている最初のお月見は、醍醐天皇の記録で909年。中国から月見の祭事が伝わると、最初は貴族階級の行事として、直接月を見るのではなく、舟から池の水面などに映り込む月を見て楽しむ舟遊びや、歌を詠んだりするなど、観月の宴が行われていました。そして、江戸時代になってから庶民に広がっていったんですよ。」


最初はとっても風雅なお遊びからはじまったお月見も、江戸庶民に広がってから生活に密着したものとなったのだろう。

■ヤマサキさん
「十五夜のお供え物にもきちんと約束事があって、古くから左が上位とされているので、お月さまから見て左側から自然のもの、つまり旬の野菜や果物などの収穫物、次いでまだ実りきっていないため稲穂に見立てたススキ、そして人の手が加わったお月見団子というように並べるんです。お団子の数は1年の十二ヶ月にちなみ12個、あるいは十五夜の15個などこだわりがあるんですよ。」


秋の収穫物

長崎新地中華街でも近年、中秋祭が華やかに行われるようになった。中華街は“満月燈籠”と呼ばれる、まさに満月さながらの黄色のランタンで彩られ、ランタンフェスティバル同様、中国獅子舞や龍踊りの舞踊が楽しめる。中国では、この中秋節の際に満月を鑑賞しながら「月餅」を食べるのが約束事。月の丸さに見立てた月餅は円満を意味する縁起ものなのだ。
■ヤマサキさん
「この月餅が日本に伝わってから月見団子になったといわれているんですよ。」


月餅

今年はぜひ、お供え物も用意して、一年で一番美しい名月を楽しみたいものだ。

■ヤマサキさん
「『中秋の名月』は旧暦の8月15日(十五夜)ですが、実は日本ではこの日と、旧暦9月13日(十三夜)、この二つの名月を見ることを大切にされてきたんですよ。十三夜は日本独自の風習で、大豆や栗などが収穫されることから、お月さまに供えるんです。十五夜と十三夜どちらか片方の月見しかしないのは「片月見」または「片見月」といってよくないこととされたそうです。里芋や栗、枝豆が収穫時期なことから中秋の名月を別名「芋名月」、十三夜の名月を別名「栗名月」「豆名月」と呼び、 それら季節のお供え物やお月見団子を十三夜にちなみ13個お供えするんですよ。」



「月の会・長崎」 昨年の豆名月より
日本ならではの十五夜ではなく二日前の十三夜の月を愛でる観月は、あえてまん丸ではない「未完の美」を愛でるという日本人の美意識が投影された慣習なのだ。
「月の会・長崎」 昨年の十三夜の名月より

◆ ながさき月夜のこぼれ話

英語でムーン・ギター。満月の形をして琴のような音色をだすことからその名がついたといわれる月琴。明笛、唐琵琶、胡琴、はん鼓といった中国楽器で奏でられる福建を中心とした中国南方から伝わった明清楽と共に、長崎に十七世紀頃伝わったといわれ、長崎から日本中へ広まった楽器だ。かの坂本龍馬の妻・お龍も、龍馬と親交が深かった書家、篆刻家として知られる長崎の小曽根乾堂の娘・キクから月琴を習ったといわれ、龍馬がお龍にプレゼントしたという逸話も残っている。中国の京劇の伴奏でも耳馴染みの月琴。マンドリンにも似た高く澄んだその音色は、長崎で月夜を楽しむに最もふさわしいBGMだろう。

ヤマサキさんが魅せられた
月の世界、月の魅力


月の美術館

今年4月、館内町から諏訪町に移転オープンした『月の美術館』。古民家をリフォームした館内には、月のある情景が描かれた、ヤマサキさんの静謐(せいひつ)な作品が常設されている。とても興味深いことは、これらの作品を月のリズムで展示替えしていることだ。
■ヤマサキさん
「月と同じ成分でできている人間は、本来、月と同じようにすごい力を秘めているんだと思っています。月の絵を描き始めてから、現代は、どこか“人間が何者よりも偉い”という暮らし方になっていることを強く感じるようになり、人と自然が一体となって月を眺めゆったり生きた時代の良さを見直すようになったんです。月の満ち欠け、月のリズムで暮らすことの豊かさ、自然の呼吸の間合いで暮らす素晴らしさを日々感じていますね。」


ヤマサキさんの作品

この月のリズムで暮らすとはどういうことなのだろう?

■ヤマサキさん
「例えば、新月が持つ“気”は、他の時の10倍だといいます。ヨーロッパでは絶対に月が欠けている期間に結婚することはなく、必ず新月から満ちて行く期間に結婚式を行います。新月の日は浄化や解毒などに最適で、新しいことをスタートするのにも適しているんです。」


最近では、8月31日がちょうど“朔”で新月だった。これから『中秋の名月』である9月14日の満月に向けて月は満ちていく。

■ヤマサキさん
「満ちていく月には吸収、補給、摂取、保護などの作用があり、エネルギーに満ちてどんどん行動するときです。一方、月が欠けていく時期はエネルギーを溜め、それまでの反省や次の計画を練るのに適しているんですよ。新月と満月にまつわるこんな話があります。同じ環境で育った木を切る際、満月の時に切った木と新月の時に切った木の切り株の経過を見ると、満月の方の切り株だけが腐っていくのだそうです。これは、月が満ちた満月の時に木が大気中などの水分を多く吸収するからなんです。ヴァイオリンの名器として名高いストラリバリウスは新月の際に切った木で作られたものなんですよ。また、世界最古の木造建築である法隆寺の柱も、日本古来のいわゆる“闇伐り”で伐採された新月の木なんです。」

そんな話を聞くと、自然界の不思議さと同時に、それを知っていた昔の人の知識には感心させられる。

◆ ながさき月夜のこぼれ話

「たまたま花の世界にむ(う)まれてきて、此身となれるとし月をかぞふれば。十とせあまり四とせが程(ほど)とこそおぼへ候に。かくうらめしき遠き夷(えびす)の嶋にながされつつ。きのふけふとおもひながら。はや三とせの春もすぎ。けふは卯月朔日(ついたち)」

禁教下、江戸から出航するオランダ船に乗せられてジャカルタに送られた14歳の少女“お春”。海路はるかな異国の地から、禁を犯して日本の親しい人に文を書き送った「じゃがたら文」の文面からも、月を眺め暮らしたお春の姿が思い忍ばれる。

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