長崎の伝統を菓子文化に見る!

長崎で花開いた異国の味                 
鎖国時代、出島のオランダ商館長らが将軍へ謁見するために行っていた江戸参府。その際通っていた長崎街道は、またの名を “シュガーロード”という。大量に輸入された砂糖が、この道を通って全国へと運ばれていったからだ。周知の通り長崎にはカステラをはじめ、金平糖、タルトなど長崎に伝来し全国に伝わった南蛮菓子や、伝来後長崎の土地のみに息づく菓子が多くある。その背景には古くから行われてきた中国、ポルトガル、オランダなどの影響が大きいのはいうまでもないが、砂糖や卵など、材料にも恵まれていたという環境が伴っていたことも重要なポイントだったのだ。

取り巻く環境が生んだ伝統菓子               
京都を中心に西は長崎、東は江戸と、この三都市が時代の舞台だった幕末の天保元年(1830)、現在の勝山町に創業した岩永梅寿軒はその後丸山町、鍛冶屋町と移転を繰り返し、明治35年(1902)に現在の中通りに店を構えた。100年の歴史はその店構えから見てとれる。そして店頭に並ぶ季節の和菓子に、長崎ならではの色合いと薫り、つまり伝統が漂っている。市内でも名立たる名店ながらも店舗を増やすことなく、代々職人による口伝によって伝統の味が守られてきた岩永梅寿軒のご主人は6代目の岩永徳二さん。息子さん2人も後を継いで現在、技を磨いておられる。

「長崎の歴史はたかだか400年程度。でもその中でいろんな条件が重なって独自の文化が生まれましたよね。お菓子も同じで、海外との交流があって製法が伝来したということに加えて、砂糖や卵などが手に入る環境があったからこそカステラや金平糖が現代に残っているんですよ。長崎の置かれた環境そのものが産み出したってことですよね。」


岩永梅寿軒6代目・岩永徳二さん

長崎でアレンジを加えた菓子
こちらにはそんな伝統菓子とは別にこちらだけに伝わる銘菓もある。

「もともと宮城県の塩釜神社に奉納するための粗塩を、海藻をかき集めて塩水を汲みかけ、煮詰めて水分を蒸発させるという行程で作っていたのですが、その海藻のことを藻塩草といっていたんです。それをヒントに求肥と昆布を使って作ったのが“もしほ草”です。これは和の伝来の菓子。そして寛永年間(1624〜1643)に明国通商貿易で渡来したのが“寒菊”。これは寒餅を焼いて生姜を入れた蜜を数回かけ、乾燥させた干菓子で中国伝来の菓子ですね。」


もしほ草


寒菊

もしほ草は、ほのかに海藻の香りがする甘さも食感も上品な逸品。寒菊は生姜の風味がさわやかな甘く香ばしい年に8回しか製造しない貴重な菓子だ。また、落雁の一種で中国伝来の“口砂香(こうさこ)”は、茶の湯や祝事の定番として、または仏事の供物として用いられる菓子、ポルトガルから伝わった有平糖や金平糖は砂糖と水を煮詰めたいわば砂糖そのものの菓子。それに餅粉を加えるなど独自の製法で出来上がったのが、“ぬくめ細工”と呼ばれる菓子だ。このぬくめ細工とは長崎くんちの庭見世には欠かせない季節菓子だ。

「季節菓子といったら、桃の節句の“桃カステラ”の上の甘い部分はこのぬくめ細工の材料のひとつですよ。端午の節句の“鯉菓子”もそうですね。伝統菓子というのは、“今まではあった” というだけで、消えゆく可能性があるものです。“残していく”という意識で“守っていくための菓子”として使命感を持って作り続けていきたいですね。」とご主人。

目で口で四季を楽しませてくれる菓子の世界にも、長崎の伝統が息づいている。できれば遠くの大切な人に贈って、長崎の四季を一緒に頬張りたい、そんな気持ちが芽生えてくる。



■岩永梅寿軒
 諏訪町7-1
 095(822)0977
 10:00〜20:00
 不定休


ぬくめ細工
五穀豊穣、商売繁盛。見て楽しむぬくめ細工には恵美須、大黒といった縁起がいい神様がニッコリ!


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【長崎の伝統を食文化に見る】
【長崎の伝統を石文化に見る】
【長崎の伝統を菓子文化に見る】
【長崎の伝統を薬文化に見る】