オペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』

蝶々夫人は東山手に住んでいた?


ダヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』の原作であるアメリカの作家ジョン・ルーサー・ロング作の同名の小説。ロングの小説から、時代は日清戦争があった1894〜5年頃の19世紀末、舞台は長崎の長崎港を見下ろす丘の上にあった外国人居留地と推測される。

この悲恋に満ちた恋物語は、外国人居留地時代、長崎に在住していたある宣教師が深く関わっているといわれている。その人物とは鎮西学館(のちの鎮西学院)の第5代校長を務めたアービン・コレル。実はロングの実の姉がコレル氏夫人、ジェニー・コレルだったのだ。
コレル夫妻は当時メソジスト宣教師館となっていた東山手の十二番に居住。一説ではそこでジェニー・コレルがアメリカ人船員と日本人女性の恋愛を目撃し、その話を弟であるロングに伝えていたのではないかといわれているのだ。原書では蝶々さんは“ヒガシヒル”に住んでいるとある。ヒガシヒルとはつまり東山手。しかし、この物語はあくまでフィクション。ロングは、長崎はおろか日本へも足を踏み入れたことがないというから、姉からの情報や、同じく長崎が舞台の小説『お菊さん』などからイメージを膨らませて書き上げたに違いないといわれているのだ。ちなみに『お菊さん』は、長崎に滞在したフランス海軍士官のピエル・ロチ(ピエール・ロティ)が、唐人屋敷跡近くにある十人町で日本人女性と共に1ヶ月間過ごした記録を著したもの。



諏訪神社に隣接する
長崎公園内にある
ピエル・ロチのレリーフ
 


十人町のピエル・ロチ寓居跡(上)と周辺の風景(右)



しかしたとえフィクションであっても、アリアの中でも世界レベルのかの有名な『ある晴れた日に』が、東山手の丘から見る情景から生まれたと想像するととってもロマンテック! 東山手を訪れた際には是非口ずさみながら歩いてみよう。


ジェニー・コレルが住んでいた
東山手十二番館と周辺の風景






オペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』

蝶々夫人を演じた2人のプリマドンナ


●三浦環(たまき)の『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』誕生

プリマドンナとして世界的に知られる三浦環は、女学校時代の教師に音楽の才能を見いだされたといわれている。環の父は養子と結婚することを条件に進学を許したため、環は父のいいつけ通りに結婚し晴れて上野の音楽学校へ進学した。そこで『荒城の月』『鳩ぽっぽ』などを作曲した滝廉太郎に師事を仰ぎ、明治36年(1903)、20歳の時には日本初の歌劇『オルファイス』の主役を演じた。卒業後、離婚と再婚という人生の大きな転機を経て、環は歌の勉強のためヨーロッパへ旅立つ。ロンドンでは世界的指揮者サー・ヘンリー・ウッドに認められ、また世界の檜舞台、アルバートホールでも大成功をおさめる。そして、三浦環の代名詞にもなった『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』へ出演。プッチーニからも「世界にただ一人の、もっとも理想的な蝶々夫人」と最大級の賛辞を受けたといわれている。
 
Check! Check!

オペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』の舞台は、ロングの原作では“ヒガシヒル”、つまり当時外国人居留地であった東山手の丘であると考えられる。
その向かいの丘、南山手にあるグラバー園には、『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』ゆかりの地として、ヒロイン・蝶々夫人を何度も演じ、この悲恋に満ちた恋物語を世界的に有名にした日本人オペラ歌手・三浦環の像が建てられている。


三浦環の像


指差す先に広がる長崎港

港の見える丘で帰らぬ人、ピンカートンを待ち続けた蝶々さん。幼子を傍らに指差す先には現在と同じように碧い長崎港が広がっていたに違いない。ジャコモ・プッチーニの大理石の銅像もある。



●日本ではあまり知られないプリマドンナ喜波貞子

日本に生まれ育ちながら、日本であまり知られていないオペラ歌手・喜波貞子(きわていこ)は、戦前のヨーロッパにおいてオペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』で名を馳せた人物。彼女は、これまで日本で脚光を浴びることもなく、日本オペラ史上においても情報が極めて少ないという、多くのミステリーに包まれたままだった。この日本を演じきった幻のオペラ歌手の生涯が時を越えてグラバー園内、旧リンガー住宅の一部を利用し紹介されている。展示品の中には、貞子がオペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』で身につけた衣裳や、彼女自身が“私の魂”と語った傘と、その意味についても公開している。


喜波貞子の生涯と題し、ゆかりの品を展示中


 
Check! Check!

旧リンガー住宅の前庭には、「TEIKO(貞子)桜」と名付けられた桜の苗木がある。これは、今年、ヨーロッパで活躍した彼女の遺品が、愛弟子のミレーユ・G・カペルさんから寄贈された記念に植樹されたもので、この桜はイギリスで改良され日本に里帰りした“アーコレード”という種類で、1年に春と秋に2度大輪の花を咲かせる珍しいものだ。


TEIKO(貞子)桜


オペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』

見落とせない蝶々夫人ゆかりの木


●マリア・カラスのオリーブの木

三浦環の像周辺では、「世界マダムバタフライコンテスト」の優勝者が様々な木々を植樹しているのにも注目したい。また、旧自由亭の傍らにはギリシャ系アメリカ人の世紀のプリマドンナ、マリア・カラスが第1回のコンテストが行なわれた昭和48年に来崎した際に植樹したオリーブの木が植えられている。
オリーブは古代ギリシャの女神アテナイの木で、美と平和の象徴。何千年も生きる聖樹なのだとか。長崎とオペラは、永遠にオペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』を通して深いつながりを持っているのだ。

マリア・カラスが植樹したオリーブの木



『蝶々夫人を探して-歴史に見る心の国際交流-』

ブライアン・バークガフニ著
これで、“蝶々夫人”の全貌がわかる!

これは長崎在住、現在総合科学大学地域科学研究所教授、長崎市国際アドバイザー、長崎日英協会理事を兼任されているブライアン・バークガフニ氏の書籍。
今回の特集でも大いに参考にさせていただいた本書では、長崎における外国人男性と日本人女性の関係といった歴史的背景、ピエル・ロチの小説『お菊さん』に描かれた日本、原作ジョン・ルーサー・ロングの姉、ジェニー・コレルを取り巻く環境など、『蝶々夫人』へ繋がる様々な参考資料をあげ、あらゆる角度から『蝶々夫人』という作品を浮き彫りにしている興味深い作品。
もっともっと『蝶々夫人』を知りたい!という方におすすめだ。


『蝶々夫人を探して -歴史に見る心の国際交流-』

ブライアン・バークガフニさん


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