●中島川石橋群

電話095-829-1152(長崎市観光宣伝課)

●JR長崎駅からのアクセス
市電 / 長崎駅前電停から蛍茶屋行きに乗車し、公会堂前電停で下車、徒歩3分。
バス / 長崎駅前東口バス停から長崎バス親和銀行前経由(中央橋方面行き)に
   乗車し、親和銀行前バス停で下車、徒歩3分。
車 / 長崎駅前から約5分。


●文化財

眼鏡橋(国指定重要文化財)

中島川石橋群(4橋)
阿弥陀橋・高麗橋・桃渓橋・袋橋(市指定有形文化財)



袋橋(ふくろばし)


●架設

架設年代は確かではないが、欄干親柱の擬宝珠造りからみても、眼鏡橋(寛永11年・1634)に次ぐ古さで、慶安年間(1648〜1652)と推定される。
何回かの洪水にも耐え、構造的にも注目されている歴史的にも価値が高い橋。
昭和57年(1982)大水害のため半壊、1985年復元。




●ナガジン発見!


袋橋のたもとに昔(おそらく昭和30年代)停泊していたという牡蠣(かき)料理を食べさせる『牡蠣船』の綱?をかけていたと思われる石柱が現存していた。
当時、この橋の下でどのような風情をかもし出していたのだろうか??




眼鏡橋(めがねばし)


●架設

寛永11年(1634)興福寺2代住職・唐僧黙子如定が架設した、日本最初のアーチ型石橋。
江戸の日本橋、岩国の錦帯橋とともに日本三橋の一つ。
昭和57年(1982)大水害のため半壊、1983年復元。




魚市橋(うおいちばし)


●架設

元禄12年(1699)岡正恒が私費で架設。
何度か架け替えられた後、大正14年(1925)鉄筋コンクリートの橋になった。




東新橋(ひがししんばし)


●架設

寛文13年(1673)架設。1800年架替。
昭和57年(1982)大水害のため全壊。昭和61年(1986)に昭和の石橋として架設。




すすき原橋(すすきはらばし)


●架設

延宝9年(1681)架設、1721崩壊。1804年再架。
昭和57年(1982)大水害のため全壊。
昭和61年(1986)に昭和の石橋として架設。
「すすき」の漢字(表示不可/くさかんむりに千)の意味は草が生い繁るさまをいい、昔この当たりが原っぱだったことから橋の名がついたとか。




一覧橋(いちらんばし)


●架設

明暦3年(1657)唐通事高一覧が架設。
享保6年(1721)に流出。寛政8年
(1796)に流失。
享和元年(1801)再架。
昭和57年(1982)大水害のため全壊。 昭和61年(1986)に昭和の石橋として中国・福州市産の花こう岩を使って復旧した。




古町橋(ふるまちばし)

●架設

元禄10年(1697)河村嘉兵衛の母妙了尼が私費で架設。
再三の洪水で流失。享和3年(1803)再架。
昭和57年(1982)大水害のため全壊。昭和61年(1986)に昭和の石橋として架設。



編笠橋(あみかさばし)

●架設

元禄12年(1699)岸村某氏夫妻架設。
寛政7年(1795)の大洪水で流失。
享和2年(1802)再架。昭和57年(1982)大水害のため全壊。
昭和61年(1986)に昭和の石橋として架設。



大井手橋(おおいでばし)


●架設

元禄11年(1698)岡正敏が架設。再三の洪水で流出。
以前からの石材を用い、明治44年(1911)に再架。
昭和57年(1982)大水害のため全壊。
昭和61年(1986)に鉄筋コンクリートに改めた。




桃渓橋(ももたにばし)


●架設

延宝7年(1679)僧ト意(ぼくい)が架設。
昭和57年(1982)大水害のため半壊。
昭和60年(1985)に復元。




高麗橋(こうらいばし)


●架設

承応元年(1652)明の平江府(蘇州)の人々の寄付により架設。
現在は鉄筋コンクリートに改造されている。
平成5年3月に元の橋は西山ダム下に移築復元された。




阿弥陀橋(あみだばし)


●架設

元禄3年(1690)泉州(大阪)の貿易商園山善爾(ぜんじ)氏架設。
現在は鉄筋コンクリートに改造されている。
日本人としては初の架設。