長崎は坂の町といわれるが、平坦な町並みを取り囲む丘や山腹の見晴らしのいい一等地には、必ずといっていい程、広い敷地を占めた墓地がある。
その中には、母国に帰ることなくはるか遠く離れた長崎の地に葬られた人々が眠る3つの国際墓地もある。
稲佐悟真寺国際墓地、大浦国際墓地、坂本国際墓地。
今回は長崎に眠る外国人たちの生涯に触れてみよう!



今回は彼らと同じように長崎で活躍される外国人。
長崎の歴史、文化、そしてこの異国に眠る人々などについて造詣が深いブライアン・バークガフニさんに解説をいただいた。(★印はブライアンさんの解説)


ブライアン・バークガフニさん
Brian Burke-Gaffney

1950年カナダ・ウィニペグ市出身。
72年ヨーロッパ・インド等を経て来日。
73年臨済宗入門得度、京都の妙心寺で9年間禅の修行後、 82年より長崎市在住。
現在、長崎総合科学大学 人間環境学部教授、長崎市国際アドバイザー、 長崎日英協会理事。
主な著書に『庵』(グラフ社)、『時の流れを越えて---長崎国際墓地に眠る人々』(長崎文献社)、『花と霜---グラバー家の人々』(同)、共著に『高校生が考えた「居住福祉」』(クリエイツかもがわ)、『高校生が考えた「地域と環境」』(同)ほか

・ブライアンさんのホームページはこちら


それにしても、移住した人ならまだしも、たまたま寄港した旅先の異国に葬るという考えは仏教徒が主流の日本人の発想にはないように思う。
そこにはやはりキリスト教の概念が潜んでいるようだ。
死ぬということ。それは天に召される、キリストの元に旅立つということなのだ。
土に還ることが旅立つこと。
彼らは日本式の火葬を嫌い、異国の地に眠ることとなる。

異国に葬られた外国人たちの墓碑には様々なメッセージが刻まれている。
その少しの情報を読み取ると、そこには故人の壮大なドラマが隠されていたりする。


★ブライアンさん
「例えば新坂本国際墓地にあるフランス人、マルセル・ジロワーの墓。1963年73歳で亡くなった彼の墓碑には日本人の妻クニの想いが刻まれているんですよ。
その碑文を見てフランス人の友人は一筋の涙を流していました。

墓碑には「Je vous aime(ジュヴ・ゼーム)」の文字。
友人に訊ねると、通常なら「愛してる〜Je te aime (ジュ・テーム)〜」。
あなたを表す“te”が、より丁寧な“vous”になっている。
妻クニは、フランス語ではあまり使わない、日本人のとても丁寧な言葉で「愛」を記したのです。

彼らについて詳しいことは不明だが、この短い碑文から二人の関係や、暮らしぶりが伝わってくるようだ。
そしてもう一人。同じく新坂本国際墓地に眠る彼の名はアルミロ・デ・スーザー。
墓碑にはこんな碑文が刻まれている。

「最愛の人よ、眠り、眠りなさい。そしてお休み。あなたの救い主の胸に頭をもたれなさい。私達はあなたをよく愛しているが、イエズス様はあなたを一番愛しています」
彼の墓碑前には祈りを捧げる二人の天使がいる。


★ブライアンさん
「国際墓地にある墓石にはさまざまな石が使われていますが、彼の墓碑前の天使像は、奥様の希望でイタリアから取り寄せた最高級の大理石で造られているそうです」

それぞれに違う碑文、石、形、意匠を持つ墓碑。
稲佐悟真寺国際墓地にあるロシア人墓地の墓碑にはロシア正教の特徴である十字架が建てられている。
キリストが処刑された際の十字架の形だ。
新坂本国際墓地では自然石の墓をみつけた。

意匠も実に様々。
十字架に花があしらわれた墓碑、花、


稲佐悟真寺国際墓地


新坂本国際墓地

水兵さんの証である錨、フリーメイスンの墓にはシンボルであるコンパスと三角定規が刻まれている。


大浦国際墓地


坂本国際墓地

そして宗教に関係なく多くの墓碑に多く刻まれている文字がある。

「R.I.P」。それはラテン語の短い祈り、REQUIESCAT IN PACE「安らかに休むように」の略形。
愛する人の死が悲しみだけに終わらない……
碑文には祈りと信仰の証が込められている。

国際墓地に眠る人々の子孫が現在も日本、こと長崎に住んでいることは少ないようだ。
クリスチャンの場合、命日という考え方はなく墓参りの習慣もないらしい。


★ブライアンさん
「あえて定期的に参る日を決めるとすれば、クリスチャンにとって特別の日である生を受けた日、誕生日でしょうね」


ブライアンさんの元には海外に住む子孫の方からの問い合わせも少なくない。
依頼を受け、墓碑の写真を送ったり情報交換をしたことで、海外に住む子孫と日本に住む子孫が対面する機会が迎えられたということもあったとか。

ブライアンさんはこう語る。

「長崎の国際墓地は3次元的空間。数百年たっても長崎に外国人が住んでいた時代の記憶に触れることができる、場所なんです」


多くの外国人が長崎の人々と共存していた時代があった。
そして彼らは縁あって異国の地・長崎に葬られている。
もちろん墓地は観光地ではない。容易に足を踏み入れ、静かに眠る人々の邪魔をしては決してならない。

しかし、復元されつつある鎖国時代の出島……
中国人の居留地だった唐人屋敷跡……
開港後外国人居留地として賑わった南山手・東山手の洋館、石畳、高台から望む長崎港……

彼らの生涯を垣間見て、その「生」の姿を思い描きながらこれらの墓地を歩いてみると、外国人と長崎の人々が生き生きと共存していた時代を少しばかり肌で感じられ、目に移る長崎の風景、文化が不思議と違う角度から感じ取れるような気がするのだ。


さてさて、それではその3つの国際墓地を訪ね、そこに眠る人々の「物語」に触れてみよう。


【 1.稲佐悟真寺国際墓地 】
【 2.大浦国際墓地 】
【 3.坂本国際墓地 / 新坂本国際墓地 】


||[周辺地区地図]||


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