●春徳寺

電話095-822-1986 夫婦川町11-1


●JR長崎駅からのアクセス

市電 /

長崎駅前から螢茶屋行きに乗車し、新中川町で下車、徒歩7分。

バス /

バス停長崎駅前東口から県営バス・網場、東長崎方面行きに乗車し、バス停中川町で下車、徒歩7分。

車 /

長崎駅前から約15分。



●創建

寛永7年(1630)、泰室禅師により岩原郷(現在の立山町)に創建。
当時は大梅山春徳寺と称していた。
その後寛永17年(1640)、長崎代官末次平蔵茂貞(2代)の尽力により幕府の命によって慶長19年(1614)破却されたトードス・オス・サントス教会跡地に移転する。

開山の泰室禅師は博学として知られ、幕府から書物改役にも任ぜられていた人物。
以来、当時の住職は代々中国から輸入した書籍の中にキリスト教関係の記述の有無を検査する任務を任されていた。
また、14代住職・鉄翁禅師は南画家としても知られ、木下逸雲、三浦悟門らとともに長崎三画家の一人と言われる。
得意とした蘭の絵をはじめ多くの作品を残している。



●文化財


東海の墓
(県指定有形文化財)

トードス・オス・サントス跡
(県指定史跡)

春徳寺の梵鐘
(市指定有形文化財)


●住職さん

上野 宗修さん



●取材メモ1 芭蕉(翁)の句が刻まれた時雨塚(しぐれづか)

「宿かして名をなのらするしくれかな 翁」。
宝暦14年(1764)に西田紗鹿によって建立された時雨塚。
芭蕉(翁)、西田宇鹿、紗鹿父子の句が刻されている。
取材時はちょうど梅の季節、風情ある風景に出会えた。



●取材メモ2 春徳寺の入口は一面「たばこ園」だった?

春徳寺の入口は一面「たばこ園」だった?
古伝によると、慶長年間、南蛮人によってたばこの種が輸入され、春徳寺の地の下手に初めてたばこが栽培されたという。
伝説では天正10年頃から日本人が口にするようになったと言われているが、やはり日本人で最初にたばこを吸ったのは長崎人だったのだろうか?



●取材メモ3 鎌倉時代の首塚発見!?

住職さんのお話によると、原爆時に大破した後境内の敷地を発掘した所、鎌倉時代のものと思われる首塚が4個所見つかったとのこと。
長崎氏と深掘氏の長い合戦がこの地で展開された際のものと思われるが、1個所につき30体が入っていたらしい。
春徳寺に出向く時は、戦死者への霊にも手を合わせよう。写真は大破した時に残った以前の屋根瓦などを壁や石垣に埋め込んでいる図。




●取材メモ4 今も合戦の時代を彷佛とさせる木々に囲まれた城の古址(しろのこし)

今も合戦の時代を彷佛とさせる木々に囲まれた城の古址(しろのこし)
春徳寺の後山にあたる城の古址は、貞応年間(1222〜1224頃)にこの地に下向した長崎を占領した豪族・長崎小太郎貞綱の居城「鶴の城」の跡といわれている。

その証拠に今でもこの城の古址とその背後の焼山には石垣や空壕などが残っている。
この長崎氏の14代目が長崎開港時の領主、長崎甚左衛門純景。
山頂からは長崎港を一望することもできる絶景スポットだが、その昔は数多くの血なまぐさい伝説を残す合戦の場、ちょっと無気味でもあるし寂しいところなので、ひとりでは出掛けないほうがいいかも!