●外海から五島へ【潜伏、移住による伝播】

島原の乱以後は、踏み絵をはじめ、五人組制度寺請(じせい)制度、類族改(るいぞくあらため)制度、キリシタン訴人(そにん)に対する懸賞制度など、キリシタンの取り締まりは一層厳しくなりました。そんななか、浦上や外海地方などでは、神父不在の中で潜伏して組織を作り、信仰を継続していった人々がいました。

大村城下から遠く離れ、なかなか目が行き届かない外海地方は、大村藩領と佐賀藩領の飛地が混在していて領境も複雑であり、秘かに信仰を貫くのに都合のいい土地でしたが、平地が少なく土地はやせ、暮らしていくには困難な場所でした。その上、財政的に厳しかった大村藩は、経済の安定を計るために、人口増加を抑制する長男以外の子どもの間引き政策を実施。間引きはキリシタンの教えに背く大罪であり、人々は子どもを自由に生み育てられない環境に苦しんでいましたvol.6外海地方の潜伏キリシタン【潜伏】

寛政9年(1797)、五島藩主五島盛運(もりゆき)は大村領の領民を土地開拓者として移住させるように要請。大村藩主大村純鎮(すみやす)はそれを快諾、外海地方から108人が五島へ移住しました。そして、そのほとんどは潜伏キリシタンであったといわれています。移住した人達に開拓地が与えられたことを知ると、外海地方から五島への移住者は続々と増え、その数は3000人以上に達したとされます。また、その後、五島だけでなく、九十九島の1つの黒島や、比較的禁教の取り締まりが緩やかだった佐賀藩領の伊王島や神の島などにも潜伏キリシタンの移住がありました。

五島の地には、今も、外海の人々が移住した確かな証が残されています。西彼杵半島で産出され、かまどや家の周囲を囲む石垣などに使用されてきた結晶片岩(けっしょうへんがん)の存在です。五島列島では産出されないこの石は、西彼杵半島の主な地盤で温石(おんじゃく)とも呼ばれます。比較的柔らかく手軽に加工できるとあり、外海の人々の間では古くから生活道具の材料として親しまれてきました。外海の人々が五島へと移住する際船底の重石、錨(いかり)などとして持ち込んだものと思われます。この温石は五島の人々から、今も“外海から運ばれた石”と語り継がれているそうです。外海から五島列島の島々へ――移住した人々により故郷の文化や道具も運ばれていったのですね。
五島列島で発見された「温石」


水ノ浦教会聖ヨハネ五島像の台座



三井楽教会カトリック資料館所蔵
 
★その頃の長崎★
その頃の長崎での大きな出来事といえば、出島の大半を焼失してしまった寛政の大火です。当時の商館長はドゥーフで、彼の住居であるカピタン部屋も焼失しましたが、なかなか再建されず、完成まで10年の月日を要しました。現在、復元されている出島オランダ商館跡の建物の中でも特徴的なカピタン部屋。完成当時、そのカピタン部屋の扉には「1808」という完成の年号が書かれたといいます。文化5年(1808)まで日本側と商館長の意見が合わず、再建までに経過した10年という歳月……「1808」の文字は、きっと完成を祝う記念の印。長きに渡る悲願の実現、その時の喜びが伝わってくるようなエピソードです。ちなみに寛政の大火後は、奉行の指示で出島中央の道幅は約2mも広がったそうです。
 
★キリスト教人物伝★ ドミンゴ森松次郎(1835-1902)
五島のキリシタン信仰を支えた指導者
天保6年(1835)、外海の黒崎村で生まれた森松次郎は、幕末から明治にかけて五島において活躍したキリシタン。彼もまた、一家で外海から上五島・鯛ノ浦へと渡った移住者でした。独学に勤(いそ)しみ、絵や和歌を嗜(たしな)む才人だったといいます。元治2年(1865)、大浦天主堂で信徒発見の奇跡が起こると、松次郎は大浦天主堂へと出向き、プチジャン神父から直接カトリックの教えを受けます。そして、鯛ノ浦へ戻り、五島でキリシタン達の指導者となりました。五島列島・中通島の北東部に位置する周囲わずか4kmの島・頭ヶ島(かしらがしま)。幕末まではほとんど無人島だったこの島の北側の入江の最も奥まった場所には、頭ヶ島天主堂(国指定重要文化財)が建っています。松次郎は、神父をかくまうために慶応3年(1867)この地へ移り住みましたが、明治元年(1868)この島にもキリシタン迫害がおよび、厳しい弾圧が行われました。そのとき、松次郎は追っ手を逃れ、浦上を経て、香港、マニラまで逃れました。弾圧を受けた島の人々も脱走し禁教令が解けると再び舞い戻ってきたといいます。現存する天主堂は、明治43年(1910)から10年ともいわれる歳月を要して完成しました。島の信者による資金集めや労働奉仕など献身的な努力があったと伝えられています。西日本で唯一の石造りの教会で、島内で切り出した石が使用されました。天主堂の裏には、ドミンゴ森松次郎の記念碑が建てられています。

参考文献
『「株式会社」長崎出島』赤瀬浩(講談社)、『文化百選 五島編』長崎県企画、長崎新聞社製作、『日本初のキリシタン大名 大村純忠の夢〜いま、450年の時を超えて〜』(活き活きおおむら推進会議)





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