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野口彌太郎記念美術館:プロフィール

更新日:2013年3月1日 ページID:007803

野口彌太郎
野口彌太郎

野口彌太郎は1899年(明治32年)東京・本郷に生まれ、1929年(昭和4年)30歳で初渡欧し、4年間の滞欧生活を送りました。帰国後は所属する独立美術協会において活躍し、ヨーロッパで学んだフォービズム的体質と洗練された色彩感覚をもって戦後の洋画壇における具象系の代表作家としてその地位を築きました。1960年(昭和35年)再度渡欧し、スペイン絵画と出会った時には、「これだな。と身近に感じるものを覚えた。」と語っているようにスペイン系絵画の中に東洋的精神に通じるものを実感したようです。そして骨太い筆触による大胆な空間構成を会得しました。また、ベラスケスやゴヤの作品の影響もあり、ヨーロッパの美を描くなかで、黒色の美しい階調に魅入られています。晩年は、南画風の筆触を通して、日本的フォービズムの典型を示すとともに、1976年(昭和51年)春、76歳の生涯を閉じるまで長崎の画家たちに中央画壇、特に独立美術の空気を送り込み、近代日本洋画の先駆者としてすばらしい画業を残してくれました。

「野口彌太郎と長崎」

野口彌太郎と長崎との関わりは、12歳(明治44年)の時、父の郷里であった長崎県北高来郡小野村に転入したときから始まる。長崎人の人情に魅せられて戦後は幾度となく長崎を訪れ、時に数ヶ月も滞在しており、逆光にくすむ夕暮れの長崎の風景を描くなかで、独特の鮮やかな色調を見いだしている。『長崎のよさは、のんびりした土地と同時にのんびりした気質だと思う。これは、いつも長崎駅に降り立った時に風のように空気のように感じることである。長崎が特に画材に適している理由は、古い木造洋館が自然とよく調和した風景美を持っているからである。』と長崎について語っている。長崎は、彼の絵画を成熟させた故郷であり、もうひとつの欧州であったかもしれない。

「ミモザ忌」

野口彌太郎は1976年(昭和51年)3月23日、76歳で亡くなられました。遺骨は、鎌倉にある浄明寺墓所と諫早市小野町・西畠の丘陵にある野口家の墓所に、分骨し埋葬されています。命日は3月23日ですが、この時期、野口彌太郎が好きなミモザが咲いていたので、『ミモザ忌』として毎年春分の日に関係者が集まり、諫早市小野町の野口家で「野口彌太郎をしのぶ会」が行われています。

ミモザ

ミモザ:マメ科アカシア属の植物で、春に黄色い花が咲く。

お問い合わせ先

文化観光部 野口彌太郎記念美術館 

電話番号:095-843-8209

ファックス番号:095-843-8209

住所:長崎市平野町7-8

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