遠藤周作文学館
遠藤周作文学館 > 遠藤周作作品紹介

遠藤周作作品紹介

小説『沈黙』(新潮社 昭和41年 3月)

 長崎を訪れた遠藤が目にした踏絵には、それを踏んだ人々の「黒ずんだ指の痕」があった。そこに「信仰を裏切った人の声」を聴いたことがこの小説を書くきっかけとなった。
 主人公は、キリシタン迫害の時代、布教の理想に燃えて日本に潜入してきたポルトガル司教セバスチャン・ロドリゴだが、そのロドリゴに先立って日本へ渡り棄教したフェレイラや、仲間や司祭を売り何度も告侮を繰り返すキチジロー、そして多くの司祭や信徒を転ばせてきた長崎奉行・井上筑後守、などが登場する。ロドリゴは再会したフェレイラから「(お前の)夢のために日本人の血が流される」と言われ、その言葉に導かれるように踏絵に足をかける。それは今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為であった。

 「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」

『海と毒薬』(『文學界』昭和32年 6・8・10月号)

 この作品は、第二次大戦中に行われた九州大学医学部生体解剖事件をモデルとしている。「良心の痛み、罪の呵責」を求めて生体解剖手術に参加しながら、ただいいようのない幻滅とけだるさと深い疲労を感じただけの戸田と、そのメンバーに加わった瞬間から「お前は自分の人生をメチャにしてもうた」と後悔し、世間の罰を怖れる勝呂の二人を中心に物語は構成される。
 その後、二人は屋上に上り暗闇に広がる海を見る。戸田は「黒い波が押しよせては引く暗い音」に意識を奪われ、勝呂は黒い波の「そこだけ白く光っている」一点を凝視する。

「まあ海というものは、恩寵の海でもいいし、愛の海でもいいんですが、人間のなかの毒薬と対峙するものです。」(『人生の同伴者』より)

『海と毒薬』では、橋本教授夫人ヒルダを除けば、明らかな形でのキリスト教的な要素を負った存在は登場しない。問われたのは、「罪の意識」の曖昧な日本の精神風土ではないだろうか。

『深い河』(講談社 平成5年 6月)

 妻に先立たれ、その生まれ変わりを探してインドへ向かう磯部。大学を卒業し、世間的には羨まれるような結婚をしたものの離婚、虚無感に襲われている美津子。幼少時代を大連で過ごし、その時も飼い犬・クロとの別れを心に刻みながら、犬や鳥などの動物を主人公にして創作をする童話作家沼田。第二次大戦中ビルマ戦に参加し、その時の苦い体験が心の奥底に残っている木口。その四人を中心に、それぞれの思いを胸に秘めたインド旅行ツアーが舞台となる。そのインドには、美津子が大学時代に弄び、その後修道士になったと聞いていた大津がいた。大津はかつて美津子に棄てられた男で、フランスの修道院に入りながらも「ヨーロッパのキリスト教」に違和感を覚え、東洋人たる自分の神を求めてインドに来ていた。

 この作品は、遠藤文学の集大成と言われる。これまで著者が描いてきた主人公たちが、その後の人生を語るかのように登場してくる。遠藤文学のなかに地下水として流れてきたさまざまな「私」たちが、ガンジス河という聖なる河に結ばれていく。登場人物たちは、「聖にして母なる」存在であり「死と再生」を表す河を「永遠なるもの」として見守る。遠藤文学がキリスト教という枠を超え、さらに大きな存在としての神を描き出したことでも注目された。