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第32回文学講座(H28.6.25)

題目
『沈黙』―その系譜と背景について―
講師
下野孝文氏(長崎県立大学教授)

 平成28年6月25日(土)、長崎県立大学教授の下野孝文氏をお招きして、文学講座を開催しました。
 講座では、『沈黙』が生まれた背景として日本人の感受性の特徴や宗教意識が解説されたあと、遠藤が作家となり、『沈黙』を執筆するまでの人生と文学についてお話いただきました。
 『沈黙』以前にどのような関係作品が書かれ、『沈黙』へとつながっていったのか、わかりやくすまとめられた年表と遠藤作品の抜粋を参照しながら、お話は進んでいきました。下野氏は、遠藤の『沈黙』執筆までの過程で看過できない体験として、長與善郎作品との出会いによって長崎のキリシタン時代を題材にするというヒントを得たこと、結核再発による入院、昭和39年の初来崎時に踏絵を見たことなどを挙げます。
 とくに、入院生活によって、これまで頭の中での問題だった〈神の問題〉を自分の問題として捉えるようになったのではと指摘。退院後に書かれた『沈黙』について、「遠藤は神を仰ぎ見るタテの存在から、傍らで共に苦しむヨコの存在として描いた。それにより踏絵に対する解釈を、信者が神を裏切った歴史ではなく、神が踏絵を踏んだ者たちを赦し続けた歴史へと転換させた。ここに大きな意義がある」と、入院生活で実感したことが作品に昇華されていることを読み解かれました。
 最後に、『沈黙』執筆後に書かれた短篇小説「母なるもの」等を取り上げ、かくれキリシタンたちの中には、厳しく罰する父性的な神ではなく、父なる神にとりなし、許してくれる母性的な神への希求があったのではないか、という遠藤のキリシタン考について解説され、そこには遠藤自身と母親との関係が関わっていることに言及されました。
 作品の背景と系譜を見ていくことで、日本人と西洋の宗教との間にある隔たりに向き合う遠藤の姿勢や、創作を通して神を共に苦しむ存在として捉えるまでの遠藤の人生と文学の深まりが感じられました。