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第31回文学講座(H28.2.20)

題目
『それでも神はいる――遠藤周作と悪』を書いて
講師
今井真理氏(文芸評論家)

 平成28年2月20日(土)、平成27年8月に出版された新刊『それでも神はいる――遠藤周作と悪』(慶應義塾大学出版会)をもとに、遠藤文学の根底に流れる「悪」の問題について、遠藤先生との思い出も織り交ぜながらお話しいただきました。

 最初に今井氏と遠藤先生のご縁についてご紹介します。実は、遠藤先生の母・郁さんが兵庫で音楽の先生をしていたときの生徒が今井氏のお母様でした。今井氏のお母様が、郁さんからヴァイオリンを習っていたことを遠藤先生に伝えると、生前の母を知っている人がいたということを大変喜ばれ、以後も親しくされたそうです。なので、今井氏も遠藤先生の取材旅行に同行するなど交友がおありでした。遠藤先生のお人柄が伝わってくる楽しい思い出をお話くださり、講座は終始和やかな雰囲気ですすみました。
 遠藤と「悪」の問題というと、よく『スキャンダル』が取り上げられますが、遠藤文学の初期から「悪」の問題は重要なテーマでした。評論家からスタートした遠藤は、人間の悪を無視して文学が書けるのだろうかという問題を抱えます(「カトリック作家の問題」)。遠藤は戦後初の公費留学生としてフランスに留学。今井氏はルーアンでの遠藤のホームステイ先のロビンヌ夫人から「遠藤は大変な勉強家で、とにかく戦争の話をしていた」と聞き、遠藤のこの時期の「悪」の対象が戦争であったことを知りました。その後、リヨンに行った遠藤は、マルキ・ド・サドに興味を持つと同時に、ナチの拷問や黒ミサが行われていた場所を見て衝撃を受けます。今井氏は「これらのリヨンでの体験が遠藤に一つの「悪」の種を育てていった」と話されました。
 次に『スキャンダル』について、「柱として「悪」の問題はあるが、「老い」「意識下」という大きな問題がある」と指摘。「意識下というのは自分が生きてこなかった人生、それが蓄積されていて、吹き出してくる時がある。そのことを描いたのが『スキャンダル』という作品」と解説されました。続けて「自分の意識下にある悪の化身となった人たちの救済は可能なのかという問いかけに、遠藤は明確な答えは書いていないが、雪が降る描写などによって神の存在を表現したのではないか」と考察されました。
 さらに今井氏はエッセイ「アウシュヴィッツ収容所を見て」を取り上げ、遠藤が、身代わりとなって処刑されたコルベ神父だけではなく、その時代に生まれたがためにコルベ神父に注射を打つことになった医者についても考えていたことに注目。また、パンを他の囚人に譲った名もない人たちがいたことを遠藤は「悪の中にある一条の光」と書いており、「何も持っていない彼等がナチに関係なく、唯一自由にできる選択、それがパンを譲るということだった。これが遠藤の描く愛なのでは」と語られました。最後に今井氏は、「遠藤は誰にでも悪の要素はあるということを繰り返し書いている。加虐をした人と被虐者の両方の目線が大切であり、彼等は決して特殊な人ではなく、普通の人たちであった。遠藤は悪を通して語りかけるものの存在を書き続けた」と、遠藤の「悪」の問題の描き方の特徴を挙げながら、「悪」を通して遠藤が見出した「神」についておまとめになりました。
 戦争や意識下、アウシュヴィッツなど「悪」の形は変わりつつも、遠藤は、「悪」を行った人と自分とは無関係ではないという姿勢で、「悪」の問題を問い続けました。本講座を通して、私たちも改めて「悪」の問題を自分自身の問題として引きつけて小説を読み直す機会となりました。