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第30回文学講座(H27.8.29)

題目
「神の沈黙」に対する対照的な応え
――フェレイラと中浦ジュリアン
講師
デ・ルカ・レンゾ神父(日本二十六聖人記念館館長)

 平成27年8月29日(土)、講師に日本二十六聖人記念館館長のデ・ルカ・レンゾ神父をお招きして、文学講座を開催しました。

 講座では、歴史資料から読み取れるフェレイラと中浦ジュリアンの比較を通して、『沈黙』につながる史実についてお話しいただきました。
 導入では、日本における迫害前後のキリスト教の状況について、当時描かれた絵や印刷物を示しながら解説頂きました。その中でも、迫害を視野に入れた教えや「神の沈黙」を想定した教えがあったことを例に挙げ、「神の沈黙」がフェレイラや殉教者の時代に初めて起こったものではなく、すでに当時から存在していた問題であったというお話が特に印象深かったです。
 1633年10月18日、西坂の処刑地で共に穴吊りの拷問を受け、ジュリアンが最期まで信仰の歩みを全うした一方、フェレイラは棄教後、幕府側の重要な人物になりました。しかし、レンゾ神父は、文献からフェレイラが完全に神への信仰を失ったというよりは、教会の教えから離れていた点が読み取れると示唆され、そこには遠藤が『沈黙』の中で描いたフェレイラの人生のドラマに繋がるものがありました。
 丁寧なご説明とともにたくさんの貴重な歴史資料をご提示いただき、初めて知ることも非常に多く、メモを取りながら熱心に話を聞く人の姿が大勢見受けられました。最後は活発な質疑応答がなされ、レンゾ神父はその中で、「『沈黙』は人間の弱さと徹底して向き合っているが、弱い人間に最初から神の助けがあることについてはあまり書かれていない。例えば、ジュリアンのような外国の宗教を信じて、ローマに行き、殉教した人もいる。これは最初から神の助けがなかったら、できなかっただろう。遠藤が『沈黙』で描いたのはその一面であり、現実には(フェレイラの棄教とジュリアンの殉教のような)両方があった」と語られました。
 文学としての『沈黙』を、史実を踏まえて読み直すことで、小説と史実の間に呼応するものを感じ、改めて作品の奥深さを実感する機会となりました。