長崎弁研究塾  塾長:田川 文夫

 長崎弁の由来については、地域的には肥筑方言圏に属し、近畿圏の上方言葉の影響を受けながら、江戸時代中期頃までに、ほぼ完成されてきたものであろうと言われています。また、ザビエル渡来から約20年後あたりからルイス・アルメイダその他のイエズス会系宣教師の布教及び日ポ交易の殷賑を見た長崎においては、既に16世紀の半ばから外来語の移入が始まり、鎖国時代唯一の開港場であった長崎において、オランダ並びに中国清朝の少なからぬ影響を受け始めることになります。
 このように多様で多彩な歴史的地理的な影響を受けながら、長崎の風土、民情のなかで成熟してきた長崎弁のもつ味わいを思い起こし、再現を試みようというのが長崎弁研究塾の成立の趣旨であります。

 長崎弁研究に関しては、先賢のご苦心に拠る数多くの文献類も頒布されています。このような先賢の研究成果に学びながら、長崎の人々の日常生活の場で、長崎弁がどのように使われ話されてきたかをリアリスティックに表現していくという取組みを行っています。
 その長崎弁活用場面再現の一環として『長崎俄(ながさきにわか)』の創作を手がけています。例えば浪速俄、博多俄等はつとに有名ですが、お隣の佐賀県や熊本県などにも既にご当地俄が存在しています。有り余るほどの豊かな歴史、文化に彩られている長崎だけが、ご当地俄を持っていないようです。これは大変だ。早く手を付けなければと切なる焦りにも似た思いに駆られます。長崎伝習所塾で活動を始めてから、「長崎俄台本」15本、その他の小品コント台本、10数本を既に仕上げています。俄とは簡単に言えば方言漫才とでも説明されると思いますが、安易な気持ちで取組んだのでは優れた台本作品を生み出すことはできません。そのための基本的研究もおろそかにできません。長崎弁研究の国語的言語学的な追求、郷土誌的な裏付けの確認等と共に内容の豊富さを増すために、かの太田蜀山人の遺産である長崎狂歌の研究なども同時に取組みます。
 また、楽しみながら台本作りができるよう、塾生それぞれの趣味、特技の発揮の場も設けて、兎に角楽しくやっています。このページを見られた方、是非仲間に加わってください。皆、気さくないい人ばかりです。定期的な研究会は毎月第2・第4火曜日の2回、出島交流会館で催しています。例えばある日の研究会では先ず、どなたかが提起した台本作品の合評をやった後、現代川柳作法について塾生有志の問題提起、長崎弁でのお喋り、踊りのお得意な塾生を中心に「長崎ぶらぶら節」の全員踊りと言うような内容です。

お問合せは遠慮なく下記までどうぞ
塾長:田川 文夫(電話・FAX:095−822−7715)


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